業務と研究会

虐殺器官 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)
学生が薦めてくれたSF。監視論を内部に取り込んだうえでの監視ものらしい。

■卒論修論博論
卒論を読み終えて修論もまとめ終える。
修論路上観察学を再考するというもの。ルフェーブルのリズム分析や表象の空間に着目し、路上観察学の身体的行為における細かなズレによって周囲のリズムとの不調和が伝播する面白さをえぐり出した論文。機械としてのカメラと身体との結合をもう少し言葉を継げばもっと面白くなりそう。これで十分に面白かったが。
 さて次は博論読み。これは初期映画の身体についての論文。

■タイムトラベルからパラレルな反復へ
土曜日の研究会も―途中で一時間ほど抜けたのでディスカッションはおさえていないが―楽しい会だった。タイムトラヴェルものは二つの時間の間のずれを表象するために第三の空間的表象を必要とする。そしてその表象の構築に映像技術というものが大きく関与している。そこまでは3つの報告を聞いて確認した。
 さらに話を広げるならば、その表象技術である映画、ヴィデオ、コンピュータというモニタ/スクリーンが重なり合い、従来の映像の組織が現在別の方向に進んでいることも重要だろう。つまり80年代後半以降のタイムトラベルものは、そもそもタイムトラベルものとしてどこか壊れており、その壊れ方こそが恐ろしく古く、映画のテーマとしては流行らないと言われたタイムトラベルものを蘇生させてしまっている。また、モニタに自己再帰的に依拠する主体においてはもはやタイムトラベル的な枠組みは口実でしかなくなっているのではないか。

 個人的には「ジョジョ」シリーズの壊れた時間描写の壊れ方を分析してもいいかもしれない、と思った。現在のSBRに至ってはもはやパラレルな複数世界間での往復によってシリーズ自体が再編集されつつあるのだから。バックアップとしての「理解した」という無時間化。ひとまずメモ。
STEEL BALL RUN スティール・ボール・ラン 22 (ジャンプコミックス)