ミュンスターバーグとアルンハイム

の論文を読む。
いまさらという感じは否めない。
映画理論の初期に位置した彼らの言説は心理学における奥行きや運動の知覚をめぐって紡がれたものであり、今ではそうした説明は現在的真理の視点からすればやや古めかしいものとみなされがちだからである。
ただし、ステレオダイアリにも書いたように、残像説をただそうした更新された誤謬とみなすのはつまらない。
むしろ誤謬や疲労においてあからさまになった次元が写真やカメラを比喩として語られていたというポイントの方が面白い気がしてならない。
以前別の論文(触覚概念論文)で述べた、芸術学が心理学からその基礎付けに理論を借用し、やがてその異質性ゆえにそうした芸術理論が芸術学から排除されるに至った過程、この過程と先の過程はつながっているのではないだろうか…。
そんなことをチリビール飲みつつ考える。