空港という隙間


校正行為と採点行為。


コンタクト・イメージを読み返す。これを写真論にどのように導入するかを考える。
とりあえずステレオダイアリを書く。


『パリ空港のひとびと』を見終える。
 たしかに空港から出てはいるのだが、空港の磁場は消えていない。
 写真の欠落がことの発端にあり、写真の到着が結末を引き起こすという点では小道具として写真を用いた映画でもある。ところで主人公がカナダとフランスの二重国籍のあるイタリア在住の図像学者という設定も重要である。彼がやはり空港という国と国の隙間に住み着いてしまっている謎のアフリカ人を、最古の消滅した部族の出自であると言い当ててしまうのである。どこでもないところである空港にどこにもないものが残っている。
とりあえずメモ。