軽苦しい分析


先日挙げた『カーニヴァル…』を読む。
再帰的構造とデータベースという概念からニートと監視とケータイを分析する。もちろん同じ概念によって写真も議論することができる。つまり、「ベタ」でもない「メタ」でもない「ネタ」的コミュニケーションの次元から考えるということ。
…それにしても「重苦しい」ではなく「軽苦しい」ことが重苦しいとでもいうべき分析である。


ヘス論文。個人の記念碑の流行について読む。ゲーテグーテンベルクデューラー、ジャン・パウル、バッハ、ベートーベンなどの記念碑はいずれも1840年前後に完成している。これが市民たちの各家庭でさらに複製によって儀式的に受容される。その際、パノラマ的、ディオラマ的、覗き箱的なものが関与する。これが面白いところ。