象形文字としての人形

■人形論いろいろ
先日挙げた人形特集誌をめくる。今期はもう人形は胃にもたれてきたのでさらに展開はしないけれど、気になったところをいくつか引用。

 「ベルメールの人形とはエンブレム的文字によってつづられたテクストである。しかし、回文やアナグラムに似たその人形それ自体もまた、何らかの意味を伝えるための文というよりも、文字が相互に組み合って形成された複雑な文字像であり、象形文字のような何かではないだろうか…〔中略〕…ベルメールと言う技師にとって、球体関節人形は審美的な愛玩物ではなく、技術的な知を詰め込んだオブジェであって、その暗号を解読されるべき、謎めいて複雑怪奇な文字像だったように思われるのである」。(田中純、「表象の心臓」)

 有機体的身体を解体してアレゴリックに組み合わせた結果としての人形、その接合部としての関節が断片として要素をつなぎながら別のものへと容易に転換するエンブレム的断片となる。…もちろんこれはベンヤミンバロック論を下敷きにしている。

 「球体関節人形とは、全身を分割によって性器化した、ヒステリー女性の表象なのではないか。急いで付け加えておくが、ここでいう「ヒステリー」とは、一般に言う「ヒステリックな女性」の謂ではない。それはある種の心的現実を所有することで、想像的な解剖学を身体化してしまった人間一般を指している」。(斉藤環、「傷つく人形」)

 男性のフェティシズムと女性のフェティシズムの差異が語られた後の一節。人形が単純に移行対象(ウィニコット)では語りきれないことを、それ以上の論点をもっていることを示唆してくれる。今考えている「かわいい」にも参考になる。