■業務
あれやこれや仕事。次々と書類が来る。春休みは当然なし。


■写真の審判席
 フィリップスの「写真の裁判席」後半を訳し終える。
 あの有名なベンヤミンの「写真小史」でのフレーズがタイトルの元。
芸術の判定を行う審判席を写真はひっくり返したはずなのに、ここ100年の間、あろうことかこの審判席に向かって写真を弁護しようとしていたゆえに何の成果もあげられなかったというくだり。
 以前、ニューホールからスタイケンを経て、シャーカフスキー(シャーコフスキー)へというMoMAの写真部門の系譜と、彼らのそれぞれの写真の言説化/実践化を整理しかけであったことを思い出す。先にあげたクリンプ、フィリップス、ソロモン=ゴドーの80年代の仕事はこうした写真の制度化、とくにシャーカフスキーのそれに対して行われたものであった。
 考えれば考えるほど奇妙なことなのだが、ポストモダンの写真実践は芸術の側からの写真のメディアとしての圏域を咀嚼する試みだったのに対し、その試みに対する写真批評の側からの援護射撃はほとんどなかったという。そして、そうした写真とも美術とも知れないものがやがて美術館に美術作品/写真作品として収められ、いまでは何事もなかったようにすべてが回収されている。また他方でカルスタでの写真表象の主体をめぐる力学はその後盛んになった。こうした分割線と変な捩れを問題にできないだろうか…そんなことを6月に喋ることにする。青写真なのでまだ分からないが。 

■かわいい原稿
というわけで短め原稿2を書き上げ送付。
ようやく原稿3のかわいい原稿をまとめにかかる。かわいい原稿がいとおしく思えてしまうのは、そろそろ忙しさで人格が壊れてきている証拠だと思う。
それはさておき、かわいい論で確認すべきポイントをあげつらう。

■携帯ネタコント
 疲弊しつつエンタを見る。アンジャッシュ、陣内、インパルス、そして少しだけ東京03、見た分ではこれだけが携帯をコントに組み込んでいる。携帯コントはコミュニケーション論的に分析できるかもしれない。
 アンジャッシュの場合、携帯で語る不気味な象徴界同士、あるいは現実のコミュニケーションと不気味な象徴界が同調してしまう部分に味噌がある。
インパルスの場合のネット自殺ネタは、同様に複数の回路の同調とズレがポイントになっており、また文字と話言葉のズレがそこに加わる。オチはもう一回ひねってもいいかもしれない。何のことかは分からないでしょうが。
 
 またいつもここからの「かわいいね」ネタもいちおうチェックする。 
 …にしてもエンタはネタ時間を切り詰めすぎ。ジカチョウをロングで見せてほしいもの。