みの日

photographology2006-05-18

■みのな日
しつこいが毎週木曜はみのな日。
午前キッチュ現象学を大まかに終える。
キッチュはガラクタと訳すひともいる。ガラクタがガラクタであるがゆえにガラクタ的に享受して、それがガラクタだと分かってガラクタとともにガラクタ的享受をガラクタな自分とともにいとおしく思う、それがキッチュ的=ガラクタ的享受の典型であるという話をする。
サブカル論とかそういうところに私がもっている違和感であり、それをねじっていけないかというのは今年度のテーマ。次はキャンプと写真と写真の言説に移る予定。戦略的ガラクタがかつてもっていた意味と現在のガラクタ的戦略の意味を考える。
うちの大学ってこういう偏心的な志向ってついてこれるのかどうかは毎度不安。
ラクタな子を募集中。

1年生ゼミは落ち着いてきたので院生になるべくまかせよう。

映画ゼミ。やっぱり聞かせる工夫が要るのは痛感。
木更津キャッツアイの逆マワシは覚えておこう。
時間があれば映画における階段シーンシリーズとか組んでみたい。
心霊と階段というのもある種の比較検討になる素材である。その準備。

■ぐるっと山々
という名の展覧会のカタログ。
インスブルックのアルプス協会で見つけたカタログ。開くと蛇腹状にばらばらとくりだされるアルプスの描線。いつも山好きの人に顰蹙を買うこと承知で言っているのだが、山の魅力は頂点を克服したロマン主義的なものではなく、むしろ複数の稜線とか力線が折り重なって展開してくるところにある。スイスとオーストリアに行ってようやく分かったのが、稜線の意味。
この稜線の複雑な展開が料理の不味いスイスに心奪われる理由かもしれない。

■額縁
の話は、『西洋美術研究』の第九号特集パレルゴンが参考になる。
ディディ=ユベルマンの時間錯誤論やストイキタの影論の書評も載っている。
でも写真には額縁はない。そこが重要かもしれない。