水木終了

■水業務
学生の発表。ミースとヴィオネの二つ。
ヴィオネのものは時間をかけなさすぎなのでおいておいて、
ミースのほうはぼつぼつ興味深く聞いた。誰もがあの浮き上がるミース的なものを浮き上がったかたちで念頭においていたのに、再現するとおそろしく物質的なものだった、そういう話は掘り下げがいがある。ただ着地はまだ先の模様。いつもより議論が白熱して、それはよい徴候だと思う。

明日の準備のため、ビデオを入れた大きく白い袋をかかえていって、担当学生に頭だししておくよう指示して配る。サンタクロースみたいである。
残りは会議会議。

■木業務
かわいい論はキッチュ論に移行し、キッチュ的な享受の枠組みと、虚構の時代/虚構の果ての時代をすこしリンクさせ、TV批評の問題、映画批評の問題についてひとしきりおさえて、
ようやく60年代以降の美術化した写真と美術における写真の用法について向かう。
これは次の仕事にも関わっている。

一年生のゼミは院生にまかせる。ノイズの授業。
テレビのノイズの参考にしてみたい。

作品分析の授業は30本ぐらいの大量ビデオを次々と見せる。
自分自身も、たとえその一部であっても一時にこんなに映画を見ることはたぶんないと思う。
しめはやはりトラボルタ。サタデーナイト版とタランティーノ版。

次はミュージカルものを集めてみる。