ポストモダン
不安型ナショナリズムの時代―日韓中のネット世代が憎みあう本当の理由 (新書y)
を読む。増田氏のサイトで見た本。腑に落ちる部分がたくさんある。ぷちナショナリズムを巨視的な構造から分析した部分も明解で、分かりやすい。たしかに香山氏の分析ではただ病として摘出して終了になってしまい、ぷちナショへの批判とかに充分対処できていないのは確かである。
 ただ、ポストモダンの話が、つねに一枚岩的であるような気がして、このことにかぎらずこの関連の話を読むといつも、微視的で時差的で身体的な問題が捨象されてしまっていることに漠然と違和感を感じる。この問題については一度きちんと考えてみないといけない。「趣味」と名指されている問題が、美学とか芸術学にとってはきちんと対処しなければならない点であるのは確か。
 とはいえこの本はお薦め。

■シンポ準備
「芸術写真以後の写真」の訳をしあげてしまう。
さて、ぼつぼつ話を組んでいく。

■グルスキる
昼、友人に本を借りるために京都駅の二階カフェテラスで待ち合わせ。
大階段ではブラスバンドでリアルフェイスが演奏されていて、
修学旅行の5ダースくらいの高校生がそれにつられて大階段をあがっていく。
すごい光景。蟻と甘いものぐらい動物的な反応である。
京都駅構内は、グルスキー的視線に誰でもなれてしまう空間。