小さいひと


小(さい)人の出てくるCMが多い。関電とかAXEとかその他多数。
巨大化とは対照的な極小化のレトリック。

■マテリアル2
 セイジ社から出ているマテリアル・カルチャー誌のサイト
 昨日挙げたリーダー本の序および視覚文化の項を読む。前者はイギリスでのマテリアルカルチャー研究の栄枯盛衰が手際よくまとめられている。後者はテクスト論的文化読解に対する抵抗や視覚的なものの身体的、情動的次元への視座が簡単に語られている。
 マテリアル・カルチャーに対して、例えば写真論のバッチェンは微妙な立場を採っている。昨日の『複数の写真、物、歴史』のロケット写真論では、このように言う。写真史というディシプリンを完全に放棄して、その代わりマテリアル・カルチャー(制作物の社会的意味に取り組む分析)の方法や関心を採用するのは、魅惑的なことである。しかし私は、この誘惑に抗い、その代わりに写真史を内側から変える方向で作業し続けたいと思う。さもなければ、写真装身具は、写真の諸々の歴史から除外されつづけ、社会史や文化人類学という相対的なゲットーに限定されてしまうことになるか、互いに相関しはするが、非‐写真的な再現=表象実践の膨大な連続体のなかに失われてしまうことになる。
 この言い分はよく分かる。新たな枠組みを設けることで、言説内の均衡には波風は立たず、写真史(論)の力学には何も変化はおきない。ただし、先のリーダー本を読んでいれば分かるように、実はマテリアル・カルチャーの面白いところはさまざまな既存の言説のなかに介入してそこに異なる接続や切断をもたらすところにある。