MR3

■MR
 MR3回目。温室の母のシーンから3度目の「見える」の手前まで。
 目の簒奪という不在を引き受け洞察をえる去勢。システムの母の温室で麻痺する身体はもぐりの医師のもとでの麻痺する身体において繰り返される。
 そうして別の見ることないし洞察を得ることになるアンダートン。しかしよく見れば話はそう単純ではなく、彼は術後不十分な時間で目を危機に晒し、そのうえ目を文字通り物としてぞんざいに扱いつつこれを虹彩認証に用い、同時に顔を弛緩させて顔の同一性という亡霊を統御して当局に進入している。そのねじれを考える。

 水の問題。水を介した視覚でいくつか要素も並べてみる。プリコグの聖域のプール、夢のシーンでのプール、バスタブの冷水、フラーの映画のなかの浴槽、アン・ライブリーの溺死映像、そしてそうした水面の波紋や渦。迸る水の逆回しは冒頭の断片的映像のなかにもある。
 映像の投影という問題も並べてみる。映像を自らに投影する者たち。映像のシステムの中の操作項や機能項としての主体。映像の囮(ルアー)。街路に出たプリコグの顔に重なる車窓の景色も含まれる。

 食べるモチーフもあげつらう。温室で解毒剤を飲むシーン、術後のむさぼり食らうシーン、食いしん坊の捜査官のシーン、息詰るスラムでの捜査直後に腹ペコだと口にする捜査官。食うことと映像の囮の裏をかくこと。キッチンを抜けること。

 この映画、他の映像に並んで静止画像というか写真的なものも数多く登場する。家族写真はもとより、IDカードの写真、誘拐偽装犯の所有するベッドのうえにちらせた写真。
 また、アンダートンの妻は写真家。いかにもモダニズム風の、あるいはハリー・キャラハン風の写真を撮影していることが分かる。司法省の役人が捜査に行くと、映像の現像から定着へといたる行程をさくさくとこなす。

 来週は、予告された場面から父の失敗を経て4度目の見えるまで。