イヴニングレクチャー第二回のお知らせ


あれこれ雑用をさばいて夕方。翻訳作業を始める。

■イヴニングレクチャー「写真の余白に」第二回
 今週末に、メディア・ショップにて連続レクチャー第二回を開催します。こぞってご参加ください。
 フライヤーがあればまたどこかの頁に掲示します。メディアさん、よろしく。

Eveing Lecture Kyoto August the intersection of PHOTO 「写真の余白に」(全4回)
第2回『風景と転地―場所とイメージをめぐって』
2008.9.12(金)20:00-21:30 @MEDIA SHOP 当日は通常営業19:00まで。
Charge 1,000円(学生)/1,500円(一般)with 1 drink
講師:佐藤守弘(京都精華大学デザイン学部准教授) 申し込み・お問い合わせ  event@media-shop.co.jp

概要
「風景」を見て楽しむということは、実はそんなに昔からあるものではなく、たいへん近代的なことだと言われている。端的に言えば、風景とは、自然を「見られる対象」として額縁に押し込めることによって、人間を「見る主体」として成立させる認識のシステムであると考えられる。それは、ヨーロッパの幾何学的遠近法と深く関わり、そして帝国主義の時代にいわば最盛期を迎えたものと言ってもよいだろう。そしてそれは、今や何となく古くさく、そして陳腐なものとなってしまっている。
本レクチャーでは、風景を楽しむという風習がどのように成立したのかを、まずは19世紀における旅行写真の隆盛を検証することによって考えてみたい。旅行写真とは、世界中の風景や人々を写した写真のことで、ヨーロッパの受容者に世界の情報を伝える役割を果たしたものである。それは、18世紀来のピクチャレスク美学や、近代的科学としての地理学の成立と深く関わりを持ち、また博覧会や観光旅行とともに、世界を可視化するというプロジェクトの一端をなしていた。すなわち、世界を風景として見る装置である。言い換えれば旅行写真とは、非ヨーロッパ世界を「見られる対象」とすることによって、近代ヨーロッパを「見る主体」として確立するための装置であったと考えられよう。
とはいえ、「機械の眼」である写真というメディアは、時に人間の作り上げた風景というシステムを裏切ってしまうことがある。本レクチャーの後半では、そうしたほころびを、「転地(displacement)」という概念をキーワードとして考えてみたい。