ビデオ、テレビ、ステレオ論

■ビデオ
Abschied vom Zelluloid?: Beitraege zur Geschichte und Poetik des Videobildes
セルロイドとの別れ』所収のシュピールマン論文を読む。著書『ビデオ』のエッセンスという内容。前デジタル的な次元とデジタル的次元がつなぎあわされている議論。Vasulka関連の映像がほしいところ。


■テレビ
Mass Mediauras: Form, Technics, Media
『マスメディアウラ』所収の「テレビ――セットとスクリーン――」を読む。テレビ論の基本のひとつともいうべきクリアな論文。たんにフロー一辺倒の議論ではなく、その両義性への目配りがいい。


■ステレオ
Fugitive Images: From Photography to Video (Theories of Contemporary Culture)
『すり抜けるイメージ』所収のリンダ・ウィリアムズの論文「肉体化された観察者」を読む。これは予想外に面白い。装置理論やフェミニズム理論の視覚論にたいして、クレーリーの議論の利点を概ね認めつつ、ただしあまりにも一枚岩的で中立的で非性化、非身体化されたステレオスコープモデルに抗して、19世紀から20世紀のポルノグラフィ写真を中心に議論する筋立て。
 後半は濃厚なスタッグ・フィルム、ハードコアイメージのコードを読み解き、クレーリーやボードリヤールが迂回した濃密な身体性と視覚との境界の曖昧化をついた論文だった。視覚装置を操作する行為をも論じる、触覚の議論は他にも転用できそうな気がする。しかしイメージが濃厚。