学会、早回し


美学会
 初日はさすがにダウンして無理だったが、2日目、3日目にちょっとずつ美学会は参加。2日目の写真のコーナーの司会をして、3日目午前のファッションやデザインのコーナーを聞く。あとはなぜか委員を当てられてしまい、腹をすかしたまま会議に出る。

 司会を引き受けた写真のコーナーは、ひとつめはgazeとblinkの話。ふたつめは伊奈のモダニズムの広がりを討究する話、みっつめは日本固有のスナップ概念を整理する話。
 ひとつめはblinkが視線の不在を介した可視的/不可視的の間にあるということ、映画の問題(ヴェルトフ論は無数にあるしよいものも多い、都市映画論としても論は多い、フリッカリングの問題も言及されるべきだろう)をもう少し絡めたほうがモダニズムの広がりを請け出すことができるような気がした。また全体にフォトグラムとシュルレアリスムという繋ぎは少々散漫なまとまりになってしまうかなという感じ。
 ふたつめは、たしかにボルトン『意味の抗争』所収の論にも見られるように、写真のモダニズムの拡がりを歴史的資料を調べて埋めていくリヴィジョニズムは必要なことは分かるし、図像をよく読んでいた発表だった。が、エログロという奇怪な視覚の問題がいまひとつにおってこないのが物足りなかった。
 スナップの発表はもちろん発表者の他の文章も読んでいるので、日本の1980年代に至るまでのスナップ概念の整理になる有益な資料だと思うのだが、もう少し70年代以降の要素に目配せしたほうが発表としてはキャッチ―になるのではないかと思った。あとはアマチュアを外部にするための理論装置が必要かもしれない。
 あくまでも以上は、個人的感想。会場ではまとめる時間は到底なかったが、写真は写真以外のメディウムと必然的に関わりあってしまうメディウムなので、全体的に、もう少し写真以外の問題に言及してもよいと思う。つぶぞろいの論者の発表3つだったが、今書いたように、言説間、メディア間の緊張感がいまひとつ私には感じられなかった。これは写真(およびその他)研究の今後の問題。
 ファッションの発表は面白いことは面白かったが、切断と裁断、衣服と身体の同一視はあくまでも議論の前提となる段階であり、その先が聞きたい。切断と縫合はセットにすべきだし、そのうえで間隙や隙間の問題が明瞭になるし、切断のバリエーションや、現実や身体と表象の問題がもっとクリアに分節化できる。クラウスのシュルレアリスム写真論なんかは二種類の切断と縫合(不可能性)の論として使えるのではないかとか、無機物のセックスアピールの問題もたぶんここには関わってくるだろう、とかつらつらと考えた発表だった。

以上、時差ぼけが全然治らないまま聞いた発表なので不正確かもしれないが、感想まで。

■早回し/早送り
 まだパリから送付した各文献は届いていないが、向うで見聞きしたもののメモ。ZKMの展覧会は常設の方がZKM何周年かを記念する展覧会、特別展が先に挙げたファストフォワード展2だった。パリで堀氏とも話をしたし、たぶん彼がブログで詳細な感想は挙げてくれるにちがいないが、簡単に印象を述べておくと、現在のメディアアートにおける映像が20年を経てきわめて透明なものになっているという感じがした。映像自体は映画未満の(つまり物語の断片にすぎないということ)、だが映画同様の身体を固定した鑑賞方法を自明のものとした作品が多いということ。
 この展覧会の会場には14個のコンテナがもちこまれそこが映像ブースになり、たしかにその会場設定は、映像の流通という問題を考えるうえでも、現在の現代美術展映像系会場のブース化、つまりほぼマンガ喫茶化を批判的に考えるうえでは面白いと思ったが、コンテナという会場内にしつらえられたプロジェクション方法は、コンテナ外のインスタレーションを志向する他の作品と比較すると、少々インパクトが弱いし、たぶんコンテナに入れるというキュレーターのコンセプトがすべてだったのじゃないかと疑ってしまうような展覧会だった。
 常設展もたしかにいつもブース化しているが、まだ身体の反応や動きはぎくしゃくしていて、それが大きな差異になっていた。下記は以前開催されたパート1の展覧会と今回の展覧会の図録。
Fast Forward 2: The Power of MotionFast Forward: Media Art, Sammlung Goetz
同じタイトルで20世紀初頭のAVGの本も出てきたので購入リストに挙げておく。早回し論とでもカテゴリー化しておこう。
Fast Forward: The Aesthetics and Ideology of Speed in Russian Avant-Garde Culture, 1910-1930