仙台3日目


■泥と写真
 学会で仙台に行ったので、3日目の午前は少しだけサボって、小学校の体育館で行われているそうな写真を救済するプロジェクトのお手伝いに少しだけ参加する。情報を提供してくれた林田くんやレンタカーですいすいナビゲートしてくれたうちの院生たちには感謝。これは経験しないより経験したほうがよいプロジェクトだった。詳しくはここにブログがあるようです(http://natori-kizuna.blog.so-net.ne.jp/)。
 津波に流されて泥まみれになった誰のものなのか分からない写真等を、アルバムやファイルなどからはがし、これ以上劣化の進まないように洗浄し、乾燥させてファイルに保管するという、一連の工程のほんの最初だけをほんの2時間弱だけさせてもらった。それだけでも結構骨の折れる作業ではあった。
 水に浸かった写真というものが、付着した泥に含まれるバクテリアや気温の寒暖差によってなんと脆弱にも像を消失させてしまうのか、その猛烈な匂いも含めて、物としての写真の次元が確認できた。
 しかも、このプロジェクトは、一方で想い出の痕跡たる写真を救済する企図であるのだが、他方で、写真の持ち主もすでに不在である可能性もあり、当人の想い出の像を当人の手へ戻すこと以上のことがここでは行われているということも分かった。救済の意味は別のところにもある。
 それは、まったくの他者が撮り、貼り、書き込みをした像の編集のさまに新たに加わり再編集する作業でもある。たとえば、どうしても剥ぐことのできない、互いに像部分が貼りついた2枚の写真をどうするのか―でもそのおかげで裏にある日付や名前や経験のキャプションは解読可能である―、ビニールの覆いを外してしまえばすべての乳剤がはがれてしまうカラー写真をどうするのか、それに悩みながら、あるいは、モデルガンマニアや登山マニアやアイドルマニアやプリクラ手帳の所有者の数年から数十年の経験を像を確認しながら、写真裏に書かれたコメントまでを読み上げながら、そのひとたちの歴史をもういちどなぞること、写真についた泥の飛沫や匂いにむせかえりながらそうした作業を続けること、普通だったらしないしできないししようとも思わないことをする、たぶん、それを通じて写真の乱雑さや媒介性を前景化することが、このプロジェクトの重要な部分になっているような気がした。
 とはいえ、時間の制限上、6名でただひと箱を整理しただけだし、前々日のふとした会話で決まった話だし、なにより現地に着くまでボランティアするかどうかも知らなかったほどなので、たいしたことはしていない。それは断っておく。そういう簡単な関わり方もできる。もちろん先着のボランティアのひとたちはフル装備で黙々と作業をこなしていて本当に脱帽した。
 にじんだ写真をそれなりに美的様式的に語る言葉も思い付くのだろうが、僕はそれは違うかなと思った。それは根本から違う。
 泥のざらつきと鼻の奥に残るほどの乳剤の匂い、それを感じながら学会シンポに戻る。ちょうど同じ地区の被災写真が会場で映されつつその経験が美学的に語られていた。ま、それはさておき、写真映像的経験は写真映像を考える立場からこういうふうな感じでもできたということ。それは備忘録的にあげておく。
 写真はその小学校の入り口に並べられたぬいぐるみや人形の群れ。問題があればすぐおろしますが、メモ程度に。