ひとはなぜ裁きたがるのか 宣伝


■宣伝

ひとはなぜ裁きたがるのか―判定の記号論 (叢書セミオトポス)

ひとはなぜ裁きたがるのか―判定の記号論 (叢書セミオトポス)

この学会の編集委員(長)も引き受けてしまった。というわけで今年の3月頃から、本当に苦労しながら編集作業をしていた学会誌がようやくでました。
 なかなかに面白い構成になっていると思うので、ぜひお買いもとめください。今回出版を引き受けてくれた新曜社さんにも告知があがっています。ここを参照のこと。本書の第Ⅲ部でスポーツについて語っていただいた稲垣正浩さんも、ブログで紹介してくださっています。稲垣さんには、好意的にいろいろ質問は投げかけられているのでまた東京出張の折にでもお会いしたいなと考えています。
ともあれ、学会誌叢書セミオトポスの次号はゲームについてですので、たぶん年度内には出すつもりなのでよろしくお願いします。

■着る/脱ぐ大会
 で、すでに宣伝していたように、
 この雑誌がぎりぎりセーフで間に合った今回の記号学会の大会、後で声をかけられて分かったのだが、フロアにはいろんなひとが来てくれていてあまりにももったいない気もした。たぶん時間のマネジメントさえもう少し努力して、打ち合わせももう少ししておいてくれれば、フロアも巻き込んでもっと面白くなる要素が満載であったのかもしれない。
 キーワードとして着/脱〔アタッチメント/デタッチメント〕が初日の懇親会で提起されて、ただ「着る」ことだけでも「脱ぐ」ことだけでもなく、愛着と離脱という「着る」の醸成する力学があぶりだされそうな素地は企画にはあった。たとえば僧侶が常に着る袈裟はつねにすでに着られているものをさらに身にまとうことで世間から離脱するという論理で語れるし、音を着る/脱ぐという問題設定は、着ているものを脱ぐという単純な問題設定そのものを脱げないということを明らかにするのだし、あれこれ整理にはなる概念だと思う。
 最終セッションでは、なかなかにスリリングな対決だったのだが、最後まで結局ぎりぎり挑発には乗らないということで、もう30分くらいは司会入りで余裕をもたせてもよかったような気もした。

 しかし世界に学会多しといえど、学会企画のアーチストのパフォーマンスで、元学会会長と、現会長が、新聞を着せられ、うち一名がおでこにマジックで落書きされるという学会は、日本記号学会しかないと思う。問題あったらリンク削除しますがたとえばこことかに写真がまだ残っていたりする