■エイリアン論
 『Science Fiction Studies』の1980年の号にエイリアン・シンポジウムの数本の論文が掲載されていた。ざっと読んだが、グレマスのあの四角形をつかいながらイデオロギー的批判を繰り広げる感じの議論がいくつか。つまり人間をまずは立てておいて、非人間があって、、という図である。皆微妙に各項が違う図を展開する。
 ひとまず今日は一作目のあれこれのポイントを見せてしゃべって終了。来週は次のものも読みつつクリード批判もして、他のエイリアン解釈も紹介して議論をしめくくる予定。

女性状無意識(テクノガイネーシス)―女性SF論序説

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フェミニスト映画―性幻想と映像表現

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このシリーズ、各作品監督が違うがこれだけそれぞれのモチーフと主題への反応と当時の状況がにじみでているシリーズはなかなかない。エイリアンⅡ(エイリアンズ)については、ロビン・ロバートの二つの母性をめぐる論が邦訳されていた(「『エイリアンⅡ』における育ての母と生みの母」『現代思想 特集 出産』(1990年6月号))。『エイリアンⅢ』については先に挙げたサイエンスフィクションスタディーズ誌の93年の号に一本論文がある(Stephen Scobie, What's the Story, Mother: The Mourning of Alien)。『エイリアンⅣ』については探索中。そして今年はエイリアンⅤにあたる『プロメテウス』が第一作のリドリー・スコット監督で公開されるらしい。


 ラマールが来日するのに合わせたわけではないが、彼の論文をゼミで読んでいる。リミテッド・フルアニメ論を今日は半ばまで進む。いつもドゥルーズの映像論へ流れるところはどうだかなとは思うが、たしかに他のアニメーション論にはなかった楔はある論文。『アニメ・マシーン』も部分的には読んでみようかという気にはなる。