凪なしの七夕

本家のステレオダイアリを久々にアップ。

今日はドイツ語講読と指導会その他。デュシャンを片付け、未来派宣言の感情過多な文章を読んで終了。学生の仮現運動の実験ビデオを見ながら弁当を食う。午後は学生に懇々と指導。スクランブル体制を整える。

 京都から神戸へ向かうと、暑さはさほど変わらないものの、圧倒的に違うのが風である。山から海へ向かう風があり、凪があって、海から山へ向かう風がある。風通しはいいはずの地理的条件にある。この風通しのよさをどこまで保持できるかが重要だと思う。凪はいらない。
七夕。爆笑問題の太田のコメントのひとつに七夕にちなんだものがあった。それは一年一度の織姫と彦星の邂逅という私たちがロマンチックに想定した物語が、実は宇宙誕生以来のスケールのなかで再考察すれば、織姫&彦星と人間の立場が逆転してしまうというものであった。つまり人間界での邂逅のほうがよっぽどロマンチックなのであるということである。安易で容易な憧憬の根を絶つための覚めた懸隔、それが本来ロマンティックなことなのかもしれない。