夏らしく

 引き続き校正行為。よせばいいのに大幅に書き直しを始めてしまう。もうこれは性分なのかもしれない。海外行くまでに再校が届くことを祈る。
 その原稿の末尾に、デジタル写真とは、実はアナログ写真が心霊となって、自らの死を否定しながら、いっそう厄介で手に負えない論理を帯びながら回帰してきたものだ、という話を書いておく。ただの技術の交代で新しいものを語る言説に少し抗してみる。というのも、デジタル写真でいわれていることは、ほとんどアナログ写真の不気味さを二乗したものでしかないような気がする。もちろん技術的な問題はさまざまに異なるし、この二乗というのがともかく厄介ではある。しかし、問題なのは、まず写真的論理によって編成される布置なのであり、何よりもこの写真的、心霊的なものこそ写真論が向かい合わなければならない対象だと思うからである。
 夏らしい思考内容。