ポーターという迂回路

 ゴドローのレジメ切り終え、マッサーのレジメ切り。現在からは想像できないほどのトラベローグの圏域の広さを確認し、そうした報告のひとつでもある旅行ジャンル映画を議論したもの。旅行報告の体裁をなした講演が幻灯機時代から引き継がれ、静止画が運動映像に切りかわり、ファントムライドものやヘイルズ・ツアーとも関係を取り結びながら、切断と連続性をはらみながら『大列車強盗』へ行き着く。以前、グリフィスの『娘とその信頼』を見た際には、たいして大きな興味はわかなかったのだが、かえって大列車の方が受容方法や上映方法や社会的文脈の中に置くと複雑であることが分かってくる。旅行ジャンルなるものはアクチュアリティとストーリーにまたがり、きわめて曖昧で移行的な多方向性をもっている、それが上映という実践によって変化や結合を経ていく。ポーターという迂回路というのはそういうこと。