暗示と列車

■視覚文化
『パラレル・トラックス』の全訳を始める。序論だけでも話題が満載で、いろいろな思考の糸が繋がってくる。事故とショックという常套的な語り口は置いておいても、眠りとか催眠とか暗示と列車というテーマは結構面白い。ショックによってイメージへと回路を開かれ、幻想や夢へのチャンネルが開かれてしまった主体がそこに生じる。ただしそこにはジェンダーセクシュアリティという係数が入り込んでいる。



 上着を受け取りに服屋へ。世間話をしていると、あのノーベル賞の人もここの常連らしい。その割には…とも思うのだがお世話になりっぱなしである。
 ついでに書店によるとジアネッティ『映像技法のリテラシーⅡ』が出ていた。最近この手の入門本が増えている。最後の分析例があいもかわらず『市民ケーン』。いっそBFIのシリーズ(例えばhttp://www.amazon.com/exec/obidos/search-handle-url/index=stripbooks&field-keywords=bfi%252520classics&search-type=ss&bq=1&store-name=books/ref=xs_ap_l_xgl14/103-6737250-5810266)を腰を据えて翻訳しつづけてもよいのに。このうち『ターミネーター』だけは邦訳がある(http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4594041000/qid=1099223074/sr=1-9/ref=sr_1_10_9/249-3387656-0138732)。ヴィジュカルネタで使おうと思いながら死蔵している本。


 針30本。首に10本ぐらい刺すと、もう気分は標本採集の蛾とか甲虫状態になっている――自分が採集されるべきものかはともかくとして。全体的に緩みやすくはなっている模様である。にしても硬い層を突き抜けて引き戻している際の鈍い痛みはこたえる。喘ぎつつ整体と針灸の制度的な問題を話し合う。


 書きかけ