蝋人形と写真など

 ディディ=ユベルマンの蝋人形論を読み終える。以前にも書いた蝋の物質性の問題が言及されるとともに、ヴァールブルクとフォン・シュロッサー、バタイユニーチェが適時参照され、その反復的な生起の循環を締めくくりにもってくるのは上手い。美術史という言説の力学から考えてみても面白い――アルノ川を挟んだウフィッツィとスペコーラとか、ヴァールブルクとパノフスキーの方向性の根本的な差異なども含めて――。
 フォン・シュロッサーの蝋による肖像の歴史もめくり始める。埋葬儀礼に深くかかわっていた蝋による肖像がその没落過程を経て蝋人形館へたどりつき、さらには写真において死後の生を生きているという解説に、蝋人形写真論のさらなる展開可能性も考えることができるかもしれない。

 フィルム・ノワール論をチェック。今期できるかどうかは分からないが、種を蒔く。

 郊外論の陥穽についていろいろ議論を読む。