シャーフの思惑に抗して

 しつこいが作業続行。
 シャーフの思惑をまとめる。
 シャーフはトルボット研究者の第一人者であり、その生涯のほとんどをトルボット研究に注いでいる。彼の言説は専門化しすぎて学者にはありがちなイタコ状態であるとも言える。もちろん、彼による実証的事実確認とプリント一枚ごとの観察を読めば、彼に勝る観察者はいないのであろう。ただし、その観察の前提となっている基本的ストーリーテリングが――単層的ではないとはいえ――少々単純である。というのは、彼が再解釈の起点としているのは、トルボットを含め1970年代以降の初期写真への関心という文脈だからである。例えば、それが Lyle Rexer『Photography's Antiquarian Avant-garde』(http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0810904020/qid=1105953949/sr=8-1/ref=pd_csp_1/002-4711785-9784002?v=glance&s=books&n=507846)に典型的に見られるような初期写真への現在の芸術家たちにおける芸術的関心、その多様性に満ちた個別的制作プロセスへの注視に基づくものであることが見えてきてしまう。芸術的な発展を中断させた複製のプロセス。彼はトルボットのレディングの写真ラボで活躍したニコラス・ヘンネマンの業績も否定しようとする。たしかにシャーフの物語は、彼の技術的発展を中断させ、同時に彼の芸術的発展の中断を嘆くという性格のものである、そうした意味で単層的ではない。ただ、トルボットが繰り返し試みていたコンタクト・プリントを生成発展と捉える見方はどうにも収まりが悪い。