タイプの議論

■雑用
 卒論読み。川俣と歌舞伎と舞台映像。息つく暇なし。
 レポートの読み方と卒論の読み方は違うような気がする。後者においては、ありうべき、つまり欠落している論点を補いつつ全体を再構成しながら読む。補角も入れて読む。だから限りなく鈍角に近い論文を読みたい。論点は鋭角的なほうがいいのだけれど。
 もう少ししたらレポートも追加で来る。これも提出方法を間違えているもの複数。やれやれ。

■タイプ
バッチェンの写真の命名についての議論を読む。写真が発明された頃のその寄る辺なさ、つまり様々な領域に属した形で登場し、依然としていずれの領域に属すか不明の対象/概念であった写真。命名にはそうした面白さがある。ところでダゲレオタイプやカロタイプという「タイプ」のほうが気になる。これは自明の語尾だったのだろうか。