コレクションを持ち去った男

■所有の病
 所有に関して調べ物。
 精神分析の議論において「であること」が「をもつこと」へ移行する契機、あるかないかではなくあるものやないものをもつこと、これが存在に所有がかかわらざるをえない契機だと考えていたのだけれど、すでに展開した論文を発見。要するにゼロ記号なるものがファルスであり、それを持つこと自体が文明=病の始まりであるというべきか。
 持つ病、なかなか良い例見つからず。もちろん美術コレクションを根こそぎ借り出して盗んでしまった男の話は面白かったが。彼は世界的美術展のためにという口実で自分の家に或る美術館のすべての美術品をまんまと運び出してしまったのである。学芸員も疑う術すらなかったという。
 芸術という領野は所有の病がふんだんにありそうな予感がする。そもそも自身の存在が自身とは異なるモノに憑かれてそうして生じたモノを自らの所有物=存在の一部として保持するにもかかわらず、それが流通して他の主体の間に渡ってその所有者の存在を今度は支えてしまう。ここには他者の手による所有によって存在を保証するという問題とかいろいろな問題が控えているような気がする。…よくある主客の合一とか制作における自他未分化の創造的プロセスというステレオタイプも、そうした所有と存在のバランスの危うさとみなしてしまう症例とは言えないのか…。次は90年代の変動に呼応した所有論を読む。

■原稿書き
『自然の鉛筆』をその言説的構成から読み出そうという章。ハーシェルの比喩からはじめる。