新興写真と民俗写真

 柳田國男と文化映画についての論文を読む。文化映画と民俗学に共通しているのは、その失われゆくものとしての地方を発見する身振りを示しながら、きわめて均質な一般的日本イメージを想像・創造しようとする視線であるという。興味深かったのは、1920年代から30年代にかけての写真とその言説の文脈。一方で民俗学は視覚的なものを回避し、言葉による記述に依拠し、他方で民俗写真や文化映画は視覚的なものを透明なものとして示し、言葉によるイメージの統御を顕在化させないようにする。この議論のなかで述べられた、新興写真の文脈が民俗写真とかかわりをもつという主張はもう少しついてみたいと思う。

昨日のハンセンの議論、ヒュイッセンらの議論とも絡めてもう少し引き継いで考えてみることにする。