ブリコルことにしました

■講義講読の予定を

明日の午後の講義講読は変更して、民族学博物館(万博公園)に行くことになります。
午後13時半から16時ころまであたりにいますので、参加可能な方は参加してください(いちおう授業は休講にしておきました)。
見るのは主にこれ→http://www.minpaku.ac.jp/special/brico/

■福来と松本、そして写真嫌い
 別の仕事で福来友吉について調べていると、東大の心理学教室で彼が『透視と念写』などで休職の憂き目に会ったと同時に着任したのが松本亦太郎である。松本に関して面白いのは、彼が1910年前後に幻灯を具えた実験室を整備し、もしかするとその部屋でスライドを用いて美術史の講義が行われた可能性が高いという点である。その意味で心霊写真的なものとスライド的なものはつながっている。
 「写真嫌い」というタイトルで写真と美術史に関する発表について佐藤氏がコメント(http://d.hatena.ne.jp/morohiro_s/)をしていたが、以前そうした趣旨の内容をスライド論で書いたことがある。下記のページの「美術史の目と機械の眼」「複製の知覚」参照。
http://homepage1.nifty.com/osamumaekawa/Essay.htm
 スライド論はその後いくつか資料を集めているのでまたパート3を書きます。

 コメントというか確認をしておけば、写真を含めた映像によってひとが記憶を媒介されているというのは、それが良いか悪いかではなく、近代の経験を考えるうえでの前提だと思う。だからフォトグラフィフォビアのひとはそうした経験の中で自らの言葉を紡いでいる。そうした布置のなかで言及された発言を読む必要もあるだろう。

■広告と散漫な受容
午前のゼミで『広告の誕生』を基にした発表を聞く。『広告都市東京』でも言えることではあるが、その議論をどう受けて自ら展開するかが問題ではある。散漫さに集中して終わりでは少々退屈な受け方になってしまうからである。