展示を見せること

アメリカ学会
 昨日は同じく京大でアメリカ学会。
 いろいろな学会に行くと男女比率とかファッションとかヒゲ率とか、質疑応答の具合とかその学会の特色を読めることが多い。
 それはさておきその部会D「権力と展示」を聞く。
 小林氏の報告(権力装置としての美術館)はアメリカでの展示をめぐる論争の年代順の整理を行い、それを出発点にして喜多氏が広義の展示という側面から「コンピューティングをめぐる大衆的言説を考え」、狭義の展示という側面から阿部氏が三つの写真展をめぐって他者の表象を批判的に考察する試みを行う、という内容。
 報告者がそれぞれ話したい内容が多く、そのため時間切れの感はあった。
 フロアから質問すらできなかったので、いくつかの疑問点を挙げておこう。
 まず、展示という概念を狭義と広義に分ける必要性や有効性はどこにあるのか。
 狭義の流通を文字通り美術館博物館での展示と捉え、広義の展示をそれ以外でのイメージや言説の流通と捉え、後者を文化の展示とするのは、展示概念がもう少し定義されたうえで有効に拡張されないと意味が分からないままになってしまう。むしろ展示を逆に表象のモードのひとつとして捉えた方が話は早いような気もした。もちろん展示概念に潜む、見せることという意味合いを強調すれば筋は立っていくのではあるが、それぞれの報告がうまくかみ合ったいたとは思えない。
 コンピューティングをめぐる大衆的言説についての報告は、技術を表象するモードとその欲求にもうすこし触手を伸ばしてほしかった。広告から映画、小説にいたるまでコンピューティングをめぐる多様なイメージがあり、それが時代ごとにひとびとの欲望をどのように煽っていたのかが見せてもらえると面白かったはず。これは個人的要望。
とはいえ展示を考えるためのいくつかの素材が手に入った。
あとは生井さんにおめもじ。