彼岸でではなく此岸で請け出すこと

ソンタグ・シンポ

 昨日は造形大でソンタグ追悼シンポ。
 段取りや枠組みには少なからず問題はあったようで、それに対する不快感を表明するまっとうな発言がきっかけとなってソンタグらしくソンタグ追悼を行うことがどういうことなのかを考える流れになったといえば、よいのだろうか。久しぶりに痛快浅田節を聞く。いっそ司会もお願いしたらもっと面白いシンポになっていたのかとも思う。
 重要な論点だったのは、ソンタグの両義性というか緊張の磁場を引き受けたうえでソンタグをうけだしつづけること。変に彼女を時期区分してしまわないこと。そして作家としての批評家という側面にも目配りをしておくこと。だからシンポタイトルのような「ラディカルな意志の彼方へ向けて」ではなく、「ラディカルな意志のスタイルを引き継ぐ」ということだった。『他者の苦痛へのまなざし』も少し整理していこうと思う。ソンタグのシネフィルぶりも話に聞くまで知らなかった。

 それと、造形大の学生、坂本龍一の演奏が終わって大挙して退去しないように。後半の討論をないがしろにするのはとても失礼。

 終わって同志社神戸京大の学生と飲む。最後は若く青い話題にやられて撤退する。ボリュームあがって論争していた学生が何人かいて面白かった。もっとやれもっとやれと思いつつ見守る。

■編集業務
さて雑用。雑誌の編集Aをさくさくと済ませる。

書きかけ