閉所恐怖と蝋人形


 民俗博物館の展示について読み進める。
 タブロー型という展示方法の対極にあるのが、非タブロー型である。これは観客との境界がなく、空間全体を訪問客は往き来できるようになっていた。ここにはもはや蝋人形などは存在しない。むしろ時間がとまったような室内では、当時使用されていたさまざまな道具などのモノ、そこに残された痕跡となる。摩滅した、磨耗した石や木の表面についての記述が、こうした博物館の説明には比較的多いのもその証拠となっている。ただし、私が面白いと思うのは移行期の博物館である。人形もガイド役の人間も同じように衣装をまとってあちこちに配置されていたようである。人形とガイドは、昔の家とその周囲の庭などから構築された展示空間の中に置かれていた。
 その様子を伝えた記述のなかにはこんな話もある。
 衣装を身につけたガイド役が、博物館のオープニングパーティで深酒をしてしまい、展示されたソファで寝てしまった。翌朝起きると、ここはどこわたしは誰というパニック状態に陥った彼は、便所の窓からようやく這い出したという。係員が彼を眠っている人形だと思って鍵を掛けてしまったのである。展示されてしまう恐怖、閉じこめられてしまう恐怖がこうした展示の面白さの一部だったようである。これは蝋人形にも当然当てはまる。


ふと気づいたら、映画『蝋人形の館』上映中。二度目のリメイクだったか。
http://wwws.warnerbros.co.jp/houseofwax/
なるほどパリス・ヒルトンもでている。
間違えば見に行くかもしれない。
たぶん、上で述べた閉じこめられる危うさと、最後は全部燃えて溶けるという蝋人形の本質的な部分味が見れるかもしれないから。