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 午前ゼミ。ベルメールリーフェンシュタール
 前者は、人形の古典的な神話や物語(ピュグマリオンやホフマンの『砂男』)は最低限おさえておいたほうがよいと思う。もちろん、それがけっして使えるわけではないにしても。ジェンダーの問題とか避けて通れない問題等もいくつかある――たぶん私が蝋人形にこだわるのはそうした境界を崩すような蝋の溶解力に理由があると思う――。ただし、ブライソンの言うように「王の二つの身体」などの歴史的文脈をきちんと裏付けしておかないとそうした蝋の物質的性質に依拠した議論はすべて溶けてしまいかねない。発表の方向は、少女愛とかサディズムばかりに収斂する固着した受容に距離を置くというものだった。それを押し通すための概念装置がもう少し必要。たとえば球体関節によって組み合わされる部位の順列組み合わせでそうした固着を崩していくとか。展示や呈示の仕方もまだまだ未検討。
 後者は、同時代の文脈を映像の比較検討から進めていく作業がもう少し必要だと思った。美と政治という対立をもう少し斜めに切るような現象の布置化ということ。
 ふと気がついて『ワイマールの諸表面』を取り出す。とりあえず積んどく。
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