わんこそば化

■わんこそば
大学案内の原稿を書いて学生の原稿読み。次から次へと来る。まずはシュトルートものを呼んで次はベルクソンもの、バタイユもの、シャーカフスキーものの順番か。今夜中にベルクソンまで済ませます。しばしお待ちを。
時期的に1月まで指導のわんこそばというか、指導のフード・バトルという感じ。


 スペクトラル・スペクテイターは、なぜ私が心霊写真論をずっと引きずっているのかという理由の一部分をなしている。いくら言っても、話を聞くものは皆、心霊にハートをつかまれてしまって肝心のこういうことは聞きもしないのだが…。実体化せず、局所化せずに、見ることをめぐる言説の磁場にすっと入りこみ気がつくと移動をして、かといって希薄どころではない強烈な作用を及ぼす心霊写真。これを概念装置にしてしまうというコンセプトがこれだったりする。でもこの装置が、見えると見えないとか、表象と深層の二項対立に絡め取られてしまわないように気をつけなければならない。また、可視的ならぬ過視的な問題ともきちんとあたりをつけておく必要もある。これはまた機会を見て書いていくことにします。

 休憩終わり。作業続行。