蝋人形論終了


 講義講読講義。
 午前は大友論のまとめ。物語分析までいって落ちまで持っていこうと思ったが時間切れ。破壊とか破局以後とかという語られ方をひっくりがえすような読み方を準備していたが、これはまた次の機会においておく。…簡単に言えば、終わりのための機械が勝手に暴走して終わった後の人格を形成してしまい、終わり以前の世界を破壊しつくす、そして・・・これは『老人Z』という作品の話。

 午後の講義は蝋人形論最終回。今回は蝋人形映画論序論。リメイクを繰り返し蝋のごとく変容をとげる蝋フィクションの可鍛性をしつこく口にしながら、2005年の蝋人形映画とキングコングの主演女優に目配りをして、映画『肉の蝋人形』を見せる。が、DVDの機器が機能不全で、ところどころ映像が止まる。さすが蝋映画、蝋の凝固と溶解をアクシデントで見せてしまう。静止と運動、写真と映画の境界を溶かすのがワックス・フィルム。
ま、ただ機械が安物なだけだけど。
 この映画、すごくチープなつくりのように見えるが、しごく構造的である。蝋人形館が炎上した蝋の溶解で始まり、蝋人形師が蝋化するという凝固化で終わる。さらには凝固と運動が身体的、心理的な次元で複雑な絡み合いで展開する。ディゾルヴとカットという映画の技法が字義的にも比喩的にも変に意味を担っていたりもする。

 1月はイルミネーション論。そのトバ口も示して終わり。