UFO is still/moving

■UFO VS 心霊
 一昨日のUFO本をゆきかえりに読む。
 整然と整理されたUFO神話の時代区分は肯ける部分が多い。とくに1960年代生まれの人間は、UFO言説がどのように身体の奥深くまで及んでいるかをよく分かっているだけになおさらである。水曜スペシャルサウンドエフェクトとか11PMのUFO特集のそれとかが頭の中に鳴り響くことも確か。
 ただ、随所に理論的装置として登場している枠組みがあまりにも整然と時代区分をしすぎて、UFOってそんなものだったのかしらと少し首を傾げてしまう。これは、かわいい論でも少しだけ指摘があったし、ここでも何回か感触として述べたが、ちょっと気になる問題である。
 たしかに、心霊写真についても同じような整理をすることができるのかもしれない。例えば、モダンとポストモダンで分けて、それ以後の心霊写真というぐあいに。でもそうした時代区分的な整然とした議論というのは、それが視野を切り開く時には面白いのだが、今では逆に閉塞的な感じも受けてしまう。心霊写真というのが、そうした区分をなしくずすみたいな議論を立てるのは可能かどうかを考える。
 ちなみに親指写真を考えているのも、生半可な接触的、交話的機能ばかりではなくて、時に深い層にまで達してしまう親指の致命性でそうした話をくずせないかとも思っているからである。

 UFO写真・動画は下記を参照。UFO写真もいいけれど、UFO動画もどこか抜けていて楽しい。忽然と日常の布置を崩すけど気の抜けた浮遊感がたまらない。たしかそんなビデオ作品をDVDで出している作家がいたと思う。情報求む。
 http://psyco.jp/heliboy/ufo/top.html#01

 最近ぼうっと考えていることにビデオの問題がある。スカイフィッシュにしてもビデオの問題が大きい。これはまた考えてミクシにでも。
あれこれ言っているが、
 UFOはまだ(静止して)動いているとか、何かエッセイを書きたくなったことは確か。

■読書会
ヴィドラー読書会をすることになった。Warped Spaceについては過去の日記を参照のこと。
http://d.hatena.ne.jp/photographology/20051028
春季短期読書会。