返信=変身アイテムとしてのケータイ

■日曜書類仕事
書類が山となっているので日曜書類仕事に徹する。
『反復』にいきたけれど行ける見込みなし。
結末をまたどなたかに聞くことにしよう。

■返信=変身アイテムとしてのケータイ
 早起きしたので、ボウケンジャー仮面ライダーカブトプリキュアを映す画面を茫然と見る。本部がミュージアムである冒険戦隊ボウケンジャーは、トレジャーハンターであり、悪の手からお宝をダッシュしてミュージアムに保管するために戦うらしい。カブトは現在形のUFO神話である自己内他者ワームに対して戦う、少しスティーヴン・セガールが入った仮面ライダーであった。プリキュアはエコロジカルな戦いをしているようだ。

 それよりもいつもこういう変身ヒーロー/ヒロインものを見て気になるのは、ケータイ型のアイテムが変身の契機になるというところである。


 以前、知り合いのひとたちと携帯電話=コンパクト説ないしは携帯電話=祈り棒説について話をしたことがあった。
 つまり、折りたたみ型携帯は、あの懐かしい変身魔女アニメで変身アイテムとなった化粧用コンパクトのように、自己を映しつつ他者化するための変身用具であるとも言うことができる。あるいは、棒状のものを握りしめ、そこに両目を寄らせながら、しずしずと歩きまわるさま、しかも電波の具合で乗り物の乗降口、建物の出口という敷居でこの儀礼がはじまるさまを見れば、それを何かの宗教的儀式、魔術的儀式の行動様式とみなすこともできてしまう。こんな話だった。
 結局、皆、返信待ちをしているだけの話なのだろうが。
 オチてないと思うがこんなもんで。

■憧憬論
は部分訳が出ているようです。『現代文学のフロンティア』(1996、岩波書店)所収スーザン・スチュワート「ノスタルジア高山宏訳。

On Longing: Narratives of the Miniature, the Gigantic, the Souvenir, the Collection

On Longing: Narratives of the Miniature, the Gigantic, the Souvenir, the Collection

原書も注文。これは今度書く本のためには読んでおかないとならない。 
来期はかわいい論も取り上げつつヴァナキュラー写真論を考える授業にしよう。
科研の「美と醜の感性論」もかわいい論から考えていくことになりそうである。