男子広告空間

■業務
 午前ゼミ。修士顔見世興行。広告の発表とベルクソンの発表。
 広告のほうは、百貨店の化粧品売り場を分析したもの。主旨は身体的で遊歩的で散漫な広告の刺激をシャワーのように浴びる空間を分析してみるとどうなるかということ。
 そのスペースの動線ライトボックスによる広告の光らせかた、細かなアイテムの配列から鏡の位置づけ、店員の作りこみかたにいたるまで比較的詳しい記述もあった。
 ただし、百貨店を二件通過して家に帰る駅前住民ならいざしらず、百貨店はやはりよそいきのおでかけのおめかししていく場であり、匿名で放っておくどころか強烈に店員さんに拉致られる場でもある。その醍醐味が、20歳過ぎ男子学生の場合には味わえないのが残念なところ。
 あるいは、これも意見が出たように、男性の広告学者が、鏡像の乱反射に没入していく女性の様を分析するって、これもどうなのだろう。逆もあってよいと思う。と考えると、女性用化粧品売り場に匹敵する男子広告空間はどこなのだろう。
 ベルクソンの発表は、もうすこしあがいたほうがいいと思う。言説の歴史化と相対化はもうすこししたほうがいいようにも思う。、、、個人的にはベルクソンで催眠術とかスラップスティックとかダンスとか、そういう開き方が一番聞きたいところかもしれない。

■業務
『全線』の牛の新婚夫婦のショット、『大いなる幻影』の脱出ビフォーアフター各ショット、『情事』の長々しい廊下ショット、『M』の追い詰められシーン、、、をスキャン。
あとは『ブレアウィッチ』と『シャイニング』と『マトリックス』。
こんなもんで。

■かわいい写真論
 ようやくかわいい論が写真論につながってくる。まだ入り口だけではあるが。
 …写真におけるかわいいを、ただ子ども写真やプリクラに限定される対象的特性として扱うのでもなく、あるいは支配の力学を非難し被抑圧者の主体化を説くわけでもなく、はたまた身の周りの自分未満社会未満の弱い撮影衝動を主体の言説からたたくわけでもなく、そうした形で議論できないかということを考えている。