メスダハガラシユルスナール

■パノラマ報告
 報告書の具体例分析のラスト、オランダのパノラマに向かう。
 オランダ語はまったく学んだことがない――というか2,3日滞在するとドイツ語っぽい語彙は文字で読めてしまい、その後学習することをしない――ので、少々手間。
 Scheveningenをスヘヴェニンヘン、スヘヴェニンゲン、スヘーフェニンゲン、
 なかにはスケベニンゲンと書いているものまである。
 スケベニンゲンのパノラマという表記だけはやめようと思う。

ついでに検索にひっかかった次の本も注文。

アレクシス・とどめの一撃・夢の貨幣 (ユルスナール・セレクション)

アレクシス・とどめの一撃・夢の貨幣 (ユルスナール・セレクション)

「夢の貨幣:スヘヴェニンヘンの浜辺」

報告書書き終わったらどこか海辺にでも行きたいもの。


それはさておき。
パノラマ画が写真を利用していたという問題についての論文を数本読む。ガラシの議論の格好の例がこのパノラマであると言うこともできる。メスダハの残した財産には8枚のスヘヴェニンヘンの写真が残されている。写真を厚紙に貼り付けてつないだ折りたたみ式のパノラマ写真等がそれである。この大きさのパノラマ画をなぜ3ヶ月足らずで描き終えてしまったのかという問題に関して、パノラマ写真の使用とその投影による下絵の書き写しが常々指摘されている。また、パノラマ写真のみならず、当時の言説からはステレオ写真との緊密な関係も資料からは見いだせてしまう。もちろんファンタスマゴリアというか投影技術との連関もこのパノラマは示してくれている。私にとってはミッシングリンク的なパノラマ。
また、パノラマへの投資熱が盛んだった世紀末の時期に、ベルギー資本を原動力に促されて完成したパノラマがしだいに芸術作品としての地位を占めていく過程も面白い。彼の波打ち際の絵画はパリのサロンでクールベのやはり波打ち際の作品と並べて展示され、メスダハに賞が与えられた。面白いのはいずれの作品も、当時のサロンにとっては忌避すべき主題と描き方であったにもかかわらず、メスダハをあえて評価したというところである。
メスダハが独自の装置を使って風景そのものを切り取り、奥行きを微妙な仕方で構成した岸辺の横長の絵画は、クールベの作品のほうをよっぽど古典的に見せてしまう。にもかかわらず評価はメスダハに与えられる。

■準備
次の作品分析の例にいろいろ準備をする。ディープフォーカスの議論から音楽の議論へと話は進んでいく。
『真昼の決闘』『ロイドの要心無用』『ル・ミリオン』『ギャンブラー』『野いちご』『アフリカの女王』『暗黒街の顔役』『普通の人々』『サタデーナイトフィーバー』、『道』『時計仕掛けのオレンジ』『偉大なるアンバーソン家の人びと』『サイコ』『24時間の情事』『ドゥ・ザ・ライト・シング』『ベルリン天使の詩
間に合えば『レザボアドッグス』も見せて話をしよう。