パノラマをパノラマ的に見ること

■パノラマ報告作成
 メスダハの修行時代についての文章を読みつつ、訳しつつ、原稿書きおえる。 
 トゥーンの明るいパノラマとブルバキの気の詰まるパノラマを入り口にして、重く苦しい磔刑パノラマに敬虔な気持を抱かされ、山を駆け下りる熱い男の戦争パノラマに身を焦がし、際限なく続く水平線を見ながらその静かな狂おしさを湛えた海景パノラマの砂丘で茫然とパノラマの概観を終える。どことなく切なくなるパノラマ行脚の報告集。

 とはいえ、そんな綺麗な終わり方は嫌なので、最後に写真の視覚や蝋人形の話につないで締め括る。パノラマをパノラマ的に見るという今回の作業は、――パノラマ的視覚というものが全体を一覧することではなく、それぞれのパノラマの画面が複数の面の集合として立ち上がってきて、そのダイナミックな衝突が全面的に意識される視覚の様態であると考えるならば――さらにいくつもの面が次々と立ち起きてくる作業でもあった。

 山の視覚についてはまだやり残したことが満載であるし、海景パノラマの船酔い=視覚的酔いにはまだいいたりないところがあるし、蝋人形館を含めた人形論は続行していく予定。パノラマ修行はさらに続く。

 さて註と文献表。