X的かたりと音の越え方

photographology2006-08-12


■音ホラー
『サイレン』注文。石野卓球調べがてら購入。
音を使ったホラーを辿ることはできないかとふと思う。

たたり [DVD]

たたり [DVD]

これは古典的音ホラー作品。
以前書いたように心霊映画のひとつのパターンに「ある」ものをひたすら見せる型があるとしたら、これはひたすら「ない」ものがあることをオフフレームからの音として聞かせる型だということになる。もちろん昨日話を聞いたように、音にも物語世界外の音もあれば(エクソシストの『チューブラ・ベルズ』)、物語世界内の音(四谷怪談のヒュードロドロ的な効果音)もある。ミュージカルや映画内の演奏場面の音楽がいつのまにか物語世界外の音楽になったり、またその逆になったりという例はいくつもある。それでは、心霊映画においてはそうした敷居をまたぐ音はないのか。物語世界を突如中断させ、背景の音楽にひきとどまらずにこちらとむこうというように此岸と彼岸を行き交う音の怖さはないのだろうか、、、。
 こう考えてみると、『サイレン』や『着信アリ』などの音ホラーは、そうした敷居を越える音を用いた心霊映画例として理解すべきように思われる。もちろん盆明けにこうしたDVDが届いてみないと分からないのではあるが。

■おもすぎた
通信教育のスクーリングであれこれ。
プロジェクトX旭山動物園の回を見せてもらって、このシリーズの男の連帯的な柔らかい暑苦しさとともに、何よりもナレーションの徹底的なツボのずらしかたと文章構成に反応してしまう。
デジカメの回、調べてみることにしよう。
あの声で数キロあるデジカメをひとこと
「おもすぎた」
とのたまう回らしい。

デジカメの「偽色」についても調べはじめる。

■人形ホラー
 人形ホラーマンガをあれこれ読んでいる。
 問題の核は、視線のつなぎと静止性(動いたという感覚)にある。
 つまり、見られているのではないかと振り向いて見ると見ていない、しかし見ていないところで実は見られるという視線の一方向性が一方にあり、動いたにちがいないのに静止している、動いているさまはけっして見ることができないという「動いた」という感覚が後者。人形に魂が宿り、がーっと襲ってこられたら、それもそれで怖いのだろうが、そういうマンガは心霊表象としてはあまり怖さがない。

 先の静止と運動の狭間を見せる動いた静止の表現は映画でも可能だろう。でも動いたショットを見せてもそれだけでは不十分で、動いた時に観客は視線を向け、登場人物は見ていないという視線のリレーが必要なことは確かだろう。これは「志村うしろ」的視線の中継と呼んでおこう。
 いずれにしても複数の視線の方程式がここには関わってくる。単純にある/ないの論理構制では不充分であると思う。もちろん音ホラーで分かるように、「ない」次元にはいくつかの層があり、「ある」タイプにもさまざまな偏差があることはことわっておくが。