あるとないをつなぐ

■人形ホラーのつづき
 …といって話は心霊表象動画の話のつづき。
 「ある」タイプの映像においてはぎこちない断続的な動きが恐怖映画の醍醐味であるし、また、何より映画にはショット編集による、あるとないのつなぎが重要である。
 後者については、視線のつなぎも含めて昨日見た『女優霊』ロケシーンが例になる。

 ロケ撮影の昼休み、川辺にいる監督に、ロケバス近くにいる女優Aが優しく眼差しを送っている――監督はその眼差しには気づかない――。やがてその眼差しに気づいた、これもやはりロケバス近くにいる女優Bが、監督への身振りとともに監督からの眼差しの返答を要求する。そうして要求された眼差しを監督がバスの方向に向けると、バスの窓に白く視線の定かでない霊の目(顔)が映りこみ、その後、視点ショットで往復した後に霊の影はすっと消失する。そして女優はその監督と霊の眼差しには気づかない。

 あるいは『ほん怖』の例。 

靴ヒモが解けてしゃがんで結ぶ女の子のロングショット、後方から脚のみ映った男性の姿、アクションマッチでヒモを結び続ける女の子のミディアムショット、後方を振り返る女の子、男のいないロングショット、吹き抜ける風。

シンプルだけど怖いつなぎ。あるいは、ある/ないの例として、カメラがパンしている間にいなかったところにいるはずのないものが現われる『女優霊』の映画内映画シーンも例としてよい。 

「ある」型について。少しだけメモ。非人間的な、つまり機械的な動きの表現。
たとえばリングのTVから出てくる幽霊は、あるひとから表現主義ダンスのひとが演じていると聞いた。這う所作というのはたしかに怖い(けれど、その当時見た印象では、そこまでビデオや鏡などの表象内表象におさえていたはずが、あんなベタにでてきては困ると思った覚えがある)。他方、立っている幽霊の動きは、その軌道や重心のとりかた、いかに機械的に見せるかという細かな工夫がいることも分かる.『回路』はそうした意味でも面白い例である。この項あらためて。

■もの写真
もの写真についても、調べる。
・もの写真1
 リンク(7月29日の項)は生前に写真を布プリにして表装した和尚の頂相。どこかほのぼの。
・もの写真2
 スクラップブックならぬスクラップブッキングというアルバム制作ジャンルがある。
例えば、このページを参照。「あなたも思い出アーティスト」になれるもの写真づくり。
・もの写真3
 フジフィルムのフォトモアのサイトでは、スクラップブッキングのさまざまな様態が紹介されている。「思い出を楽しくおしゃれに閉じ込める素敵なクラフト!」というコピーが踊る。このサイト(ハッピーフォトライフ フォトモア)自体、写真の現在の受容のあり方をかなり明瞭に資料として呈示してくれている。
写真研究者ジェフリー・バッチェンが涙ながして論じてくれそうな写真受容である。
Forget Me Not: Photography and Remembrance
これってこの勢いでどこか翻訳させてくれぬものか。