花環のなかの写真、彼岸の手前の写真

■花環と写真

もの写真の続き。まず左。1910年頃にアメリカで制作されたもの写真メモリアル。
深めの箱に、蝋細工の花が周囲を飾り、嘴に麦の穂を咥えた飛翔する剥製のハトが左右対称に取り付けられ、「安らかに眠る」の文字が織物で記入され、そしてやはり布でできた葉の並びの中央に写真が置かれる。この「散らし寿司」のような複数の種類の死の記号の並置のなんとにぎやかなことか。
バッチェンの主張にしたがえば、バルトが死を目前にした男の写真を見て語った時制とは異なる時間のプロセスがこうしたもの写真では生じている。数々の死の記号から出発するこの箱を見ると、生から死ではなく、死から生への逆流が写真を収斂点として生じる。…ではドデューヴの遺影写真の時間性はここではどうなるのか、、、これは引き続き考えていく。
19世紀にこうした記念物の制作は各家庭で行われており――20世紀には商業化される――、亡くなった者の遺体の埋葬準備、その他の諸々の儀式も、そしてこのような形見や記念物の制作作業も同様であったという。蝋でできた花や蝶が装飾に使用されることは多かった。蝋というのはあの有名なフロイトの一節にもあるように、自身が崩壊することで新たな記憶の書き込みが可能になる素材である。花も蝶も時の経過によって萎れている、それは記憶が可能になるには時間の経過が必要であり、しかし他ならぬ時間の経過が記憶を潰えさせるという記憶の問題を彷彿とさせる。半永久的、つまり永遠ではない衰滅するもので拵えられる形見、それが記憶の条件であると。
蝋でできた花環の歴史は長い。しかしそこには宗教的な伝統にもとづき、生や再生を象徴する場合もあれば、永遠を意味する場合もある。また、天に召される際の香りをはなつ花、死の翼が起こした風によって一瞬のうちに凍りついてしまった花、花環にはそうした意味も潜んでいる。事例の中には婚礼時に手にしていた写真のなかの花が、髪で編まれた花環の中に刺されているものもある。それが右の例。

■イメージの運動
フランスから一時帰国した院生からこれを貰う。

Le Movement Des Images

Le Movement Des Images

デュシャンのあの回るロトレリーフも、モホイ=ナジのやけにかっこいい光と影の映像も納められている。これは資料として買い。

■彼岸の手前の写真
 バッチェン「ポスト写真」を読む。中心に据えられるのは写真をもとにした立体作品を展示した「Photography into Sculpture」。さまざまな造形作品が数珠繋ぎに並べられる内容であり、いまひとつ核心に向かうような論文ではない。しかし、写真以後とかデジタル写真ってどうよ的な質問にたいしていくつかの応えがとりだせる考察である。

 「写真が絵画という亡霊に苛まれているとよく言われたものだ。よく言われたものだ、というのも、写真は現在それ自身がまさに憑依をしている亡霊であるからだ。写真がかつて絵画イメージの慣習や美的価値にしたがって評価されていたのに対して、今日、写真はもっと入りくんだものになっているのははっきりとしているのである。ここ20年にわたって、写真と、例えば絵画、彫刻、パフォーマンスなどの他のメディアとの境界線は、しだいに穴だらけのものになっている。それぞれのメディアが他のメディアを自らに取り入れ、その結果、写真の所在はどこにでもあるが、とくにどこにもないものとなっている。多くの批評家が、新たな写真のシミュレーション技術の趨勢のもとでの写真の「真実的効果」の喪失を嘆いてもいる。…〔中略〕…こうしたシナリオの皮肉さは、さまざまな慣習や参照の豊富な語彙としての写真的なものが、よりいっそう輝きをはなって生きつづけているのに、独立した存在としての写真が、永遠に消え去ろうとしているという事態にある。要するに、私たちはすでに「ポスト写真」〔時代〕に入り込んでいるのだが、その時期とは写真の後の時代ではあるが、依然として写真を越えた時代ではないように思われるのである」。

こうした写真と写真的なものの間の時代を如実に示している例が、写真に関連した、もっと言えば、写真と外界との特権的な関係を疑問に付し、写真の対象性を強調するような作品であるという。空間のなかに量塊をそなえて繰り出されてくる不透明で抵抗感を引き起こすものとしての写真が、写真的なものとの間へと置きずらされる。
 こうした一例として1970年代開催の「Photography in Sculpture」展がある。だが、その志向は、すでに60年代以来のコンセプチュアル・アートでの写真の試みと重なりあう部分が大きいという(ルシャの蛇腹の写真)。他方で、80年代になるとこうした空間への展開ではなく、むしろ写真の内部での空間性の展開が追求される。例えばホックニーのあのポラロイド写真は、複数の時間の奥行きを取り込み、写真の縁を重要な部分として呈示したのだという。もちろん話はそれほど単純ではなく、80年代から90年代にかけて、写真の立体化と立体化したモデルの撮影という二つの流れは相互に混ざり合ってはいる。
 このように所与の条件としての写真をさまざまな仕方で変異させる芸術の動向。写真という過去の表象のシステムを参照点にしながら、それを歴史的な距離やズレをはさんで追悼/追憶するような写真を用いた作品の試み。ここにはもはやどこにもない写真があるときはイメージとなりあるときは物質になり、他の素材と参照しあい、自らの同一性を先送りにして自らを反復していくという、写真的なものの全面的憑依のプロセスを見てとることができる。
 
 バッチェンの議論の面白いところは、写真の起源においてこうした他のメディアとの参照関係がすでに見られると主張する点にある。写真的表象モードはその始まりからゾンビとして自らを複製していた――とまでは彼は言わないが――のであり、方々で口にされる写真の死は、すでに写真に潜んでいた核が前面化したということだと取ることもできるし、『ドッペルゲンガー』のように、ゾンビがもう一度死を迎えて、写真というものに余剰として憑いていると取ることもできる。
 バッチェンはこういうふうに喩えている。過去の写真の二次元を立体へと三次元化した作品は、恐竜の化石に残されていた生の自己複製的プロセスを、もう一度甦らせ、その手に負えない性質を復元してしまうことなのであると。

 …「ポスト写真」を読めば、いくつかの示唆が得られる。ここのところ進めているもの写真論というのは、実はたんに、古く温もりのある写真へ回帰するという話ではなく、写真を写真的なものへとひきずりだすための方法でもあるということ。そして、これもステレオ写真論でずっと気になっている彫刻と写真というテーマ、それが予想外の奥行きをそなえているということ。こうした示唆をもらう。

 次のバッチェン論文はトルボットとバベッジ。写真装置を介してレースの織り機とコンピュータをつなぐ議論。撮ること織ること指を折ること。

どうにも長いメモ。