漢〔おとこ〕のカメラ

■回る×回る×回る
昨日山手線に乗ると、車内全ての広告が「あの」ギャツビーの吊広告、そして液晶画面には「あの」キムタクのふわふわくるくるのCMが無限のループを描いて流れていた。
 回る電車で回るの三乗。乗り物酔いしないひとも酔いだす勢い。いい意味か悪い意味かは知らない。あのCMのどことない痛さはたぶん男性よりも女性のほうが的確に言い当ててくれそうな気もする。

■ものカメラ1
以前紹介したスパイカメラ本届く。変装カメラのほうが適切かもしれない。
Cameras in Disguise (Shire Library)
PGの方々と日本カメラの方と喋っていて、男の子のハートをがっつりとつかむものカメラ的なものと、女の子が心を奪われるものカメラ的なものの話などもする。
 キムタクのあの不気味なカメラCMもカメラのもの性あればこそ理解できるし、マレイの写真銃も実は重要なのは男の子ものカメラではないのかとか、カメラというものがあの中途の大きさと自動にすればいいのにわざわざ手で扱う複雑さの機構を残しているのも、そういう観点から論ずることができる。
 というわけで少しずつものカメラをあげつつ書いていく。
 フータモのモバイル・メディア論で紹介したように、身につけるということとつけないということでは雲泥の差がある。
 腕時計カメラというのは漢〔おとこ〕のロマン的臭いを仄かににおいたたせている。
 
 写真は1980年代に発売された腕時計カメラ。現像セットつき。このキットで男の子は心を揺すられる。たとえ隠し撮りすることが一生なかろうともそれは関係ない。
 
 あるいは1948年に本当のスパイ用に用いられたスパイカメラ。このちょっとしたかさばりごてごて感がたまらないのだろう。繰りかえすと人生のうちでそんな使命を担うことはなかろうとも。
 スイスで1961年に作られた腕時計カメラ。
 
…それはポケットに入れたほうが良いと思う。

■『カメラ・オーストリア』最新号
 東京からの帰りに購入したセクーラのマイゼラス論を読む。これはあのアーカイヴ論の展開のひとつ。また紹介する。