ビデオ問題

■神戸
昨日は神戸一日。
呪怨』を見せながら伊藤美咲の大根演技振りを説明しつつ、劇画の熱さと少女漫画の微妙な情感を語りつつ、ボードウェルの鉄の檻に注意しつつ、ハル・フォスターのいさぎよいスキンヘッドに言及しながら終了。木曜日はこんな大回転な日。
明日も神戸半日。公開講座の司会業。

■京都
市のゴミ収集に透明ゴミ袋が義務付けられた。が、売り切れ続出のこの袋、近所でなかなか入手にしくく下京を彷徨う。捨てるものを手に入れるための彷徨。どこか変である。

■ビデオ論
シュピールマンのビデオ論をボツボツと読む。アーチストによるビデオ作品についても議論されているが、前半ではビデオ的な問題がいくつか議論されていて今の作業には参考になる。
Video: Das reflektive Medium
これはなぜ心霊表象においてビデオが装置として頻出するのかの考察のため。
光学的な心霊像から電子的心霊像への推移。

クラウスの「ビデオ――ナルシシズムの美学」へのベルールの反論、あるいはベルールの鏡面としてのビデオ画面説へのロスの反論などが情報として有益。

ビデオ技術についてはここが基本的知識や用語の情報を提供している。飛び越し走査とか素人には何のことかと思えてしまう。