前説と前座
■神戸
公開講座の係をやっているので神戸。もう何年目かの前説をする。
今年は「異郷にいきること」がテーマ。たぶん、外の異郷と内の異郷と内の故郷と外の故郷の組み合わせがいろいろな形で提示され、異郷と故郷が近しくなってしまうというような、そんな流れなのだろう。最終回はコンサートもある。
■運命の手
- 出版社/メーカー: タカラトミー(TAKARA TOMY)
- 発売日: 2006/07/27
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■科研講演会
のポスターが届く。
科研「〈醜〉と〈排除〉の感性論」2006年度第2回会合 公開講演会
日時: 10月21日(土)13時〜17時
場所: 京都国立近代美術館 1階講堂前川 修 (神戸大学)「写真のなかの幽霊」
篠原 資明(京都大学)「軟体構築の美学」
参加費無料、一般来聴者歓迎
※当日は「プライスコレクション 若冲と江戸絵画展」会期中で、1階にも展示がありますので、美術館北側通用口より、講演会参加である旨を伝えて、お入りください)
私は前座を務めます。
いつものごとくまだ書きはじめていない。
■ビデオ論
引き続きビデオ論。
映画学、メディア史、ヴィジュアル・カルチャー研究におけるイメージの扱いかたの難点が綺麗に整理されている。
だいたいこんな感じ。
ヴィジュアルカルチャーでは、静態的なイメージ概念に結びついた、それゆえにイメージの運動についてほとんど何も語らない美術史的な視点がドミナントであり、映画やヴィデオへの視点を除外して個々のイメージメディアで培ったイメージ理解から、デジタルメディアへと議論を拡張してしまう。電子的イメージのもつ別の性質の展開がここでは抜け落ちてしまう。映画理論をここでは援用すべきであるのに。他方、映画理論においても、運動的なイメージはたしかに扱われはするものの、映画メディアの初期局面での諸メディアの交錯しか議論されないため、電子的イメージやデジタルイメージについては議論がおろそかになる。そして、、、。
たしかに当たっている。ないものねだりではあるが。ビデオはアナログとデジタルを交錯させる視点を呈示してくれるだけに、ヴィジュカルにビデオ論は必要なような気がしている。
いずれにしてもJournal of Visual Culture誌をいちどさらってみないとならない。