ポーズの二乗論
土下座ならぬ土下寝して書類を待ってもらう。電話口でだけど。
■幽霊でいっぱい
を読む。
『回路』というのは、もうあの世で人口過剰になった幽霊が回路を通じてこの世にあふれでてくる話。幽霊移住計画みたいな映画だそうな。ただし、その侵略のしかたは、現世のひとたちを死にいたらしめるのではなく――そうしたらそれはたんに仲間が増えて人口過剰は解決しない――、あの世でもこの世でもない存在にしてしまう、染みにして消し去ってしまうことだという。
ここで挙がっている喩えが面白い。『蝿男の恐怖』の物質電送機の最初の実験で電送されたネコは、その存在は消え去ってしまう、しかしどこにもないところから「ニャー」という鳴き声がする。そうした近くにありつつどこにもない視点、それが一番怖いということ。ベタな霊でもなく、ベタな存在でもなく、その間の問題。
明日はそんな話はしないですが、そこそこ怖いお話になります。
よろしくお願いします。
■ポーズ×2論
さて同時にもの写真論のネタを探し回る。と思いながら清水ミチコゲストの番組を見てしまう。「溶け込み写真」で以前ステレオダイアリを書いたが、南伸坊と関根勤と合わせてなりきり写真というのもありかと考える。
ポーズのポーズ(静止)論。ポーズのイデオロギーがポーズによって見えてくるという話とか。