記憶の切り貼り

二日目。

■顔出し情報
 コネクティング・ワールド展へ行き、予定を大幅に延長してから多摩へ。学会二日目。
 ピラネージの発表からフォト・モンタージュと犯人モンタージュ写真の話を聴く。
 後だしジャンケンみたいな感想はやめて、形式的な話だけ。せっかくのパネルなのだし、発表者が雛壇に並んでいるのだし、もっと相互に応酬するような形でも面白いのではないかしらと思う。
 顔出し写真の話はどうしても聴きたかったので、質問する。たしかに発表でもあったように、19世紀の肖像写真スタジオでの切り貼り写真のたぐいは本当に数が多い。発表では写真によって表象される個の同一性が保持されているのでコラージュにすぎないといわれた三億円犯人写真もたしかにこの切り貼りの伝統に属している。これがもともとの顔出しご当地写真の起源になる。現在も日本各地で存在しているご当地昔話モチーフの顔出し写真というのは、ここから少し切断があるような気もする。顔出し写真を各国で調査した論を捜索中だったこともあり、資料情報をいただく。
 ちなみに19世紀末の切り貼り「モンタージュ」写真にはこんなものもある。

 「驚異!卵から生まれた赤んぼう」と水スペ的に題してしまうほど不気味だけれども、当時の切り貼りには卵系が散見されるのである。切り貼り写真例はいずれシリーズで紹介しようと思う。
 そしてこれはコラージュ的ではあるが、19世紀の家族アルバムのさまざまなレイアウトを見ると、切り貼り実践が家族やその他の集団の記憶の語り=騙りのための重要な行為であったことも分かる。ただし、もの写真シリーズでも紹介したように写真はなぜかそうした意味の収斂を拒んでしまい、そのせめぎあいこそが写真実践として面白いということも付け加えておきたい。
 もうひとつはクラウスも言うように、フォトモンタージュにおいては地の問題が案外重要だと思う。そして絵具なのか白い地が露出しているのか隙間があるのかないのかということ。ついでに、広告や報道などにおけるイメージの社会的コンテクストも当然重要。

■PG仕事2007
 多摩から新宿へ。
 降り出した雨、勢いの強まる雨のなか、「お得意様が待っている」状態でPGギャラリーへ。
 1月のレクチャーの打ち合わせと次号のPG誌の原稿の話、それにくわえて、さらなるお仕事をいただく。来年は少なくとも4,5回はレクチャー東京行きが決まる。ベンヤミンと写真を違う仕方で論じてみるというのがだいたいの概要。
 その後、いつものように飲みに行って沈没し、ロンサムなホテルに泊まる。