アクセサリーの身体
■雑用
大学。発表ゼミ会議打ち合わせオープンなキャンパス。
ゼミは映画三連荘。映画予告編、ミュージカル映画、映画と映画館についての各々の発表。
映画予告編というのは、誰もがそれは宣伝にすぎないからと見落としているアトラクティヴなイメージ形成をするものであるということ、現在のミュージカル映画というものが実はミュージカル映画のノスタルジーに憑かれた映画であるということ、映画なるものが実は複数の格差あるメディウムにおいて複数形になっていること、簡単にまとめれば、そんな感じの主張。
角川映画、別に好きではないので。ただ、あの時代の小説、音楽、映画、予告編にわたるキャッチィーな宣伝が実は予想以上に物語的なものであったことに驚いてしまっただけ。『セーラー服と機関銃』、私は実は見ていないのである。
Ghost in the Shell: Photography and the Human Soul, 1850-2000 (MIT Press)
- 作者: Robert A. Sobieszek
- 出版社/メーカー: The MIT Press
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もちろんタイトルはコウカクキドウタイからきている。
■Forget Me Not 5
以前(2006年8月16日)も書いたのでその部分を読んでもらって、その続き。
新聞や雑誌などでこのようなアルバム的機能は宣伝され、ロケット型の写真入れが、肖像写真家たちにとっては顧客をつかむための重要な工夫であったことも分かる。宣伝文句を読むと、さまざまなサイズ、さまざまな形状の写真入れが考案されている――鍵、指輪、ロケット、ブローチ。
ただし、恋人の小さな肖像を携行するという実践は写真以前に遡るものでもあった。18世紀末までには、貴族階級のあいだではその成員の小型肖像画を装飾品に組み込む伝統があり、なかでも亡き人を偲ぶアクセサリーはよく知られた例でもある(17世紀にまで遡るとも言われる)。
写真の発明以後、写真を用いることで、以前は富裕な階級のアクセサリーが廉価なかたちで流通する。そう考えると、初期写真に、写真を組み込んだブローチやブレスレットをした被写体を写した写真がかなりの数存在するのも、肯けることなのである。
写真アクセサリーの機能は大きく二つに分かれている。ひとつが恋人たちのあいだでの愛情のしるしとしての働き、もうひとつが亡き人を想起する働きである。夫妻の写真がペンダントの表裏に組み込まれ、けっして離れることがないようなつくりのアクセサリーもあれば、恋人同士がお互いに内側に向き合っており、ロケットを閉じれば接触している状態にあることに醍醐味があるアクセサリーもあった。
バッチェンは、ある意味でこうした身につける写真は、その着用者の身体をアクセサリーへと変換したのだという。これはまた続きで。
(以下続く)