再開
諸々再開。
■ラルティーグ考
今度書く論文にラルティーグを盛り込めないか、検討中。全面的にではないにしても、ラルティーグの遅さと速さの奇妙さをどこかに入れたい。というわけでラルティーグ論を探しはじめる。案の定本当にない。どれもベル・エポックを幸せに捉えた幸せ写真家扱いのような気はする。先日紹介したラルティーグセットの編者William Hibbertによれば唯一使いみちのありそうなのが次の二冊。
そしてこれLartigue,Album of a Century
前者はあのゴールドバーグが書いているので信頼がおけそうである。後者は入手困難かもしれない。また、彼がリュミエール社のオートクローム技術を使っていた資料としては次のものが使えるかもしれない。
Autochromes of Jacques-Henri Lartigue
- 作者: Georges Herscher,B. Coe
- 出版社/メーカー: Ash & Grant
- 発売日: 1981/09/17
- メディア: ハードカバー
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これはタイトルでしか内容を推測できないがいちおう印をつけざるをえないもの。
Lartigue: Or The Pleasure Of Photography
- 作者: Claire Stoullig
- 出版社/メーカー: Somogy Editions D'Art
- 発売日: 2004/06/30
- メディア: ペーパーバック
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- 作者: Carol Mavor
- 出版社/メーカー: Duke Univ Pr (Tx)
- 発売日: 2008/01
- メディア: ハードカバー
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■セクーラそしてロケット
オクトーバー誌102号所収のセクーラBetween the Net and the Deep Blue Seaを読みはじめる。副題は以前も紹介したように「写真における交通再考」。20年前に書かれた「写真における交通」と対にするとセクーラの立場も明瞭になるはず。
バッチェンの論文Ere the substanceもざっと読みはじめる。Forget Me Notでのロケット写真が焦点化され、なおかつForget…では紙面上無理だった理論的な可能性が議論されているようである。