科研

タイタニックの航跡
セクーラの最近―といっても数年前―の仕事であるタイタニックの航跡関連文献を調べている。
Brigitte WerneburgのAt Vigo Bay
また、
Herta Wolfの言説性の技術性;セクーラの「写真における交通」の諸問題
も読む。後者は、セクーラの理論装置を解析し、その問題点をあげる論。

セクーラの議論を引き受けてそれを正面から検討している論文は案外少ない。

■科研
 今日は科研。横浜写真とメドゥーサの話。
 飲んでいるときに約束していたので、前半の発表についてのコメントをあげておきます。
 これまで過小評価しか受けてこなかった横浜写真、その、これまで論じられてこなかった形式的特性、その政治的側面などを地理学的文脈、植民地主義的文脈、ピクチャレスクなもの、珍奇なるもの等などの観点から照射するという内容だった。
 ステレオ写真をかじっているので、別の素材の読み方の可能性や発表自体への疑問などもあげておきます。19世紀の横浜写真はある意味で地理学写真の文法をそなえており、クラウスの読みのごとく、別の言説空間に属してもいることは分かる。しかし、クラウスのもうひとつの読みは、地理学写真はステレオ写真でも多数撮られているということであった。その空間では、ステレオの断絶的な前後感が強烈に意識されて視点が決められている。こうしたステレオ的視点と、ピクチャレスクの美学がはたして結びつくのかどうか。これが気になる点。たとえばO・W・ホームズの、奥行きのある、被写界深度のある画面に入り込み漂うという体験の記述が参考になるのかもしれない。
 ディオラマ的な色の浮かび上がり方や、――発表中に言及した――水彩画の問題、これも各表象メディア間の関係として気になる。

 第二に、19世紀といえども1850年1880年、1900年と写真の流通の側面には大きな段差があるような気がする。そうした変化にともなう横浜写真の盛衰も含めて、絵葉書やステレオ写真を写真帖という媒体間の関係も聞いてみたいと思った。

 第三に、第一と第二の質問とも関連するが、18世紀末以前の概念が19世紀に入り、世紀末に至るまで同一であったとは考えにくい。広い階層にその概念が流布したということがもたらす概念の変容はどのようなものだったのだろうか。

 第四に、風俗を捉えた写真では人類学的表象が参照されているということだが――風景の手前にいる後姿のネイティヴが自然の一部であるという話はおもしろいと思った――、どの地域における人類学表象も同じ一般性をそなえていたのだろうか。もちろん人類学的表象というのは「身体とアーカイヴ」(セクーラ)をひくまでもなく、基準化された枠組みにしたがっているというのは分かる。しかし、人類学写真の議論をいくつか読むと、それぞれの国とそのひとびとごとに撮影の際の摩擦が違うかたちであったようでもある。この差異が聞いてみたいポイント。そして、西欧にとっての外部が実は内部化された表象であるなら、その逆の視点はあるのか。これもこのポイントに関連するかもしれない。
 最後に、地理学的な写真、ピクチャレスクな写真、コロニアリスティックな写真、その機能が混ざり合った奇怪な表象という観点から、横浜写真の特殊性をもっとうけだせないだろうかということ。普遍性や一般性の観点は充分理解できるので、その逆の話もあっていいのではないだろうか。
 ということで、以上、コメントまで。
 そのあとの飲み会、かなり濃いものでした。