エンバーミング


エンバーミング 蝋人形 写真
昨日紹介いただいた山田さんの論文を注文。
越境 (現代民俗誌の地平)
「越境する葬儀−日本におけるエンバーミング
ご本人のページをみると、興味深いタイトルが数々並んでいる。個人的には、死以後の心霊写真までを研究しようと決めていたが、死の手前までの遺影写真(撮影時は存命中だから)、死の直後のエンバーミングとの三位一体で何か研究できないものか、考えてみる。
 昨日書いたように、蝋人形史を追いかけていると、その前史である墓碑彫刻に行き当たる。これ↓なんかはそういう研究の古典。まだ読み通してはいないけれど。

Tote Blicke: Geschichte Der Portratbildnerei in Wachs. Ein Versuch (Acta humaniora)

Tote Blicke: Geschichte Der Portratbildnerei in Wachs. Ein Versuch (Acta humaniora)

また以前書いたこともあるけれど、蝋人形写真というのも奇妙な対象である。例えば下記のカタログに掲載されたブライソンの論文は、蝋人形と写真の起源の交錯を扱っていて、蝋人形と写真表象とがかなり興味深いペアになることが分かる。
Sugimoto: Portraits

■ズームと回想の現在
 もうひとつ熊本とんぼがえりで気になった素材。
 結婚式でも、葬式でもその日までの出来事を撮影した写真がナレーション&音楽とともに映し出されるコーナーがある。ヴィデオに編集して動画がある場合には動画、静止画しかない場合にはスライドショーになる。後者の方が回想には適しているような気がしている。もし葬儀で生前のビデオをながされるならば、奇怪な気分になることは間違いないだろう。写真による喪の機能はしばしば言及されるが、それはこの静態性にあるのだろうか。
 それはさておき、こうしたスライドショーでは、一枚一枚の写真が気づかない速度でややズームインされる手法がある。よく見ると、スライドショー的構成のTVCMでも同じ手法を用いていることが分かる。このわずかなイメージの膨張のリズム、静止と運動の間にあるリズム。